命あるものとしてつきあう責任

情報紙「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ)さん<気まぐれコラム><日々歳々>(20)」のエントリに曰く「彼らは元来、人間を襲ったりはしない。でも、人間さまに害を及ぼしている以上、「ならず者」と名指しされ、「狂暴な動物」とのレッテルを貼られても何もいえない…、それが人間さまのエゴ、ルールだから仕方ない。アライグマたちは、日本に連れてこられた運命をして、人間に牙をむく「ならず者」に徹してでも生き延びようと決心したのかもしれない◆パンダのように大切に育てられている動物もいれば、アライグマのような動物もいる。動物の運命も、人間と同じようなドラマで、紡がれていくのだろう。」
最近、ワニや亀やイグアナ等、ペットショップが販売しない限り絶対存在し得ない動物が発見されるというニュースが異常に多いような気がしますが、メディアの報道はほとんどが山岡さんの言われているように「狂暴な動物」におののく市民というような構図でしか報道されなくて、遺棄もしくは逃亡した飼い主や、無責任なペットショップ、そういった輩を規制しない行政などの問題はほとんど報道されなくて、この辺りメディアにも問題があるように感じます。こういった状況が続く以上、第二、第三のアライグマたちは増えてくるのは目に見えてます。生き物を飼うことを否定はしませんが、投機目的やコレクションとして対峙するのではなく、人間と同じ命あるものとしてつきあう責任が飼い主にはあるということを忘れないでいただきたいですね。